情報
潟東及びその周辺地域の情報を掲載してます。
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広報紙(外部リンク)
潟東地域のイベント
どろんこカップ
潟東では毎年8月16日に「潟東おまつり広場」が開催されており、 それに合わせて田んぼの中で泥だらけになって競う「どろんこカップ」が行われます。
潟東地域の史跡
平成13年3月25日に行われた「ふるさと潟東21夢舞台」の物語に関する史跡を中心に紹介しています。
ふるさと潟東21夢舞台が掲載されています。
- ただいま稽古中
- 広報かたひがし第452号
- 物語の紹介
- 広報かたひがし第454号
- ふるさと潟東21夢舞台
- 広報かたひがし第455号
井随大蛇地蔵尊
年々新田嵐潟に胴の長さ25ひろ余りの大蛇が住み、周辺の田畑を荒らしていたという。
宝暦3年9月ころ、この大蛇を井随の幡本嘉左ヱ門が鉄砲で退治し、亡骸を燃やすと骨が俵に5俵にもなったそうです。
大蛇の骨は村のはずれの道野辺に葬られ、地蔵様を建立して村の守り地蔵とされました。
下の写真は2004年に撮影したもの。
ビニールとガムテープで保護されており、かなり風化していたものと思われます。
井随大蛇地蔵尊の位置
忠魂碑の道路を挟んだ向かい側です。
行人塚
疫退治のために旅の行人(修行僧)がお堂にこもり、自分の命と引き換えに村の平安を祈り、そのままの姿で仏様になられたという。
行人塚の位置
義人「徳右衛門」
元文3年(1738)5月に大曽根村と下郷屋村の間で起きた「下郷屋事件」で犠牲となった徳右衛門の墓。
「徳右衛門まつり」が大曽根集落の法要として10年毎にとり行われています。
徳右衛門の墓の位置
ひもろぎ狐
遠藤集落はむかし半農半漁の生活であり、鎧潟で捕った魚を白根に売りに行く途中、番屋の神籬(ひもろぎ)で、狐に化かされたという民話が残っています。
この神籬(ひもろぎ)は、番屋集落北側の三方集落との境界付近にあったそうです。当時は周囲を鬱蒼とした木々に囲まれていたようです。
その後、耕地整理等に伴い番屋神明社内に稲荷社として移設されています。
稲荷社の位置
鎧潟弁財天
鎧潟にあった弁天島の祠を移したものです。
鎧潟干拓に伴い鎧潟排水機場の公園内に当初移設されましたが、その後の排水機場の改修工事のためこの場所に再度移設されました。